STORY
物件、改装、名前の由来など、
Ao.ができるまでのストーリーを時系列順にまとめています。
Ao.の建物は、もともと「堺印房と、田尻写真店」という印章、写真問屋の店舗兼自宅ビルでした。堺印房の創業は大正10年(1921年)当時名「堺万年筆店」。100年以上続く、老舗会社です。親子三代で
2005年頃、私たちは、人吉市で当時初のドミトリー型宿泊施設「ドミトリー堺」を開業しました。店舗兼自宅ビルのスペースを有効活用すべく、何ができるか考え付いた結果が「ドミトリー式簡易宿泊所」当時、日本では馴染みのない単語で、人吉市では初の試みでした。
元々、田尻写真館の自宅兼店舗だった3階建ビルを、ご縁がありお譲りしてもらい、客室や、廊下など試行錯誤しながら部屋割りをし、2棟での営業を開始しました。
1階は開けた駐車場。奥には和室のある建物で、75平米ほどの広さと約4mある天井高がつくり出す開放的な空間でした。コンクリート壁と鉄骨が作り出す無骨さに魅了され、私たちは、「ゲストハウスラウンジと、カフェ×バースペース造作の計画し始めます。
とはいえ「人吉ゲストハウス堺」は、このとき創業二年目。40代半ばの役員1名の他には社員一人のみという非常に小さな会社でした。加えて、当時はいまほど「ゲストハウス・ホステル」という業態が知られていなかった時代です。
令和2年7月豪雨
「令和2年7月熊本豪雨」何の前触れもなく熊本南部を大水害が襲った。
人吉球磨は、線状降水帯にさらされ、100を超える支流から、日本三大急流「球磨川」に大量の雨水が流れ込み、球磨川や、支流など至る所で氾濫し、大規模な土砂災害を引き起こした。
人吉市内は約4.7m浸水し、下流域では10mを超える浸水に見舞われ、主要道路の国道219号線と、JRくま川鉄道の路線も流出し、過去に例の無い大災害となった。
人吉中心市街地にあった「人吉ゲストハウス堺」の浸水深度4.7m。2階客室の床上60cmまで達しました。
絶望と、不安に追い込まれましたが、昔からの友人や、常連のお客様、関係者の方々に、現地まで応援に来てくださり、多くの方々に支えられ、復旧活動を行うことができました。
このような状況になり、人吉球磨の建設会社や、職人の方々は多忙で、なかなか改装まで行き着くことができませんでした。
建築関係の仕事をしていた昔からの友人である、叶 晃さんに話をしてみると、現場までかなりの距離があるが、快諾してくださり、朝晩少しづつ復旧計画を練りながら、ようやく着工することができました。
あれから約1年後。以前計画を進めていた、宿泊と飲食を併設した作りにし、人吉ゲストハウス堺は「Ao.HOSTEL & CAFE LOUNGE」
に改名し、2021年10月12日にグランドオープンできました。